たとえ、私の作品たちが、まるで自律的な規則にしたがい、私の意志に逆らって、自分たちが望むものを私とともにつくりだし、なんとなく成立してしまうとしても。作品が最終的にどのようなものになるかを決定するのは私なのだから(作品の制作は無数のイエスとノーの決定を経て、そして最後のイエスでおわる)。
こうしてみると、すべては結局ごく当然のことというか、ほかの社会的な分野とくらべてみても、生き生きとした自然なことのようにもみえる。(ゲルハルト・リヒター)
アートが「何でもあり」だとは思わない。生煮えの材料を放り出したようなやつにはうんざりだ。一方で、アートは何も「特別なもの」でなく、人間の営為や、人間を含む自然の在りようのアナロジーであって欲しい。ごく「普通のもの」であって欲しい。
リヒターの言葉は『増補版 ゲルハルト・リヒター 写真論/絵画論』(淡交社)より、1990年2月12日のノート。