エピグラフとかエビピラフ 7/デュシャンの向こう

これはリンゴである。あなたは誰かにこれはバナナだと言われるかもしれない。彼らは「バナナ、バナナ、バナナ」と、繰り返し繰り返し叫ぶかもしれない。「バ・ナ・ナ」と強調するかもしれない。あなたまで、これはバナナなのでは?と信じかけるかもしれない。でも違う。これはリンゴである。(リンゴの写真を使ったCNNのコマーシャル)

現代文化をめぐる長文エッセイを通じてウォレスは、ポストモダンの皮肉が物事を爆破するうえで強力な道具となり得る一方で、本質的には「批判的で破壊的な」論理であると論じた。障害物を排除するには有益だが、「暴露した偽善に取って代わる何かを構築するには」、きわだって「使い物にならない」と。シニシズムの普及は物書きを誠意や「オリジナリティ、高潔、誠実といった昔風の価値観」から遠ざけると彼は記した。「嘲りを頻発する者にとって嘲りからの盾となり」「未だに時代遅れの見せかけに騙される大衆の上を行く、嘲りの後援者を」祝福する。「発言が真意でない」という態度は、自分たちが偏狭なのではなく、ただのジョークだと装うオルタナ右翼のトロールに採用されることになる。(ミチコ・カクタニ)


現代アートの出発点は「便器をアートだと言ったらアートになる」である。アートはいい加減、デュシャンの向こう、ポストモダンの向こうに行くべきだ。
引用はともに『真実の終わり』(集英社)から。CNNのコマーシャルは、第一章のエピグラフに使われている。

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